今村彩子監督がおくる映画「きこえなかったあの日」は東日本大震災で被災した聴覚障害者の方の10年間のドキュメンタリー。
被災された方の悲しみ、また新しい未来に向かって強く歩き出す様子が描かれています。
「個性」を尊重する時代と言いながら、自分と違う立場の方の情報を無意識にシャットアウトしていた…そんなことはありませんか?
今回は、より多くの方に「災害時の障害者の方の状況を知ってもらいたい」そんな思いを込めて「東日本大震災の基礎知識」を含めた「映画あらすじ」をご紹介します。
未曾有の災害をおこした東日本大震災
映画「きこえなかったあの日」のメインストーリーである東日本大震災について少しおさらいしておきましょう。
それは2011年3月11日の昼下がり。東日本大震災は地震だけではなく津波、二次災害として福島第一原子力発電所の事故を引き起こしました。
地震の規模は日本観測史上最大のマグニチュード9.0。1900年以降に起きた世界の地震の中で第4位の大きさと言われています。
この出来事は世界中でトップニュースとして注目され、現実とは思えない光景に固唾を呑みました。
震源地である東北地方は甚大な被害をうけたましたが、首都圏でも交通機関が麻痺。首都の機能を失った状態で、世界中を震撼させたのは言うまでもありません。
情報格差を生んだ東日本大震災の現場
誰もが「情報が欲しい」と望んでいる状況で、情報格差が問題になりました。必要な情報が届かなかった…それは聴覚障害者の方々です。
震災当日「津波警報」が聞こえなかったのです。
日本経済新聞によると、東日本大震災による2020年3月現在の死者は1万5,899人。死因は全体の92.5%が「溺死」だったといわれています。
また「聴覚障害者は健常者より2倍の確率で死亡している」ことが判明しています。どうしてこのようなことが起きたのでしょうか?
それは「目で見る情報が全て」だったから。実際、津波の被害から助かった聴覚障害者は、周りの状況を見て助かったといいます。
このような非常事態の中で「目で見る情報」だけでは不十分。これでは情報格差がうまれててしまうのは当然の結果です。
そのため全日本ろうあ連盟は手話言語条例や避難を促すための情報伝達手段等を政府に要望しました。
- 気象庁会見での手話通訳者を配置
- 津波フラッグの導入
- 手話言語条例の普及
東日本大震災以降、政府によって上記を含む法が整備されました。その結果、ろう者と防災の進展がみられています。
被災者の現状と未来を語るストーリー【あらすじ】
ドキュメンタリー映画の冒頭部、「津波の警報がなっていた。私は全く聞こえなかった」というインパクトのある言葉から始まります。
なぜこの言葉からスタートしたのでしょうか。それは今村監督自身も聴覚障害者であり、被災した耳の聞こえない人たちの思いを赤裸々に伝えているからです。
もしあの時、耳の聞こえない方々に正しい情報を伝える手段があれば、もっと状況はかわっていたかも…。そう思うと心が痛みます。
今村監督は宮城県聴覚障害者協会を訪問。会長から菊地藤吉さん・信子さん夫妻や加藤えな男さんを紹介してもらうところから取材が始まります。
監督は今も尚、被災地に通い続け、人々が絶望的な気持ちを切り替え未来へ強く歩もうとする姿勢を映像におさめています。被災者としてひとくくりにするのではなく、一人一人の人生として取り上げられているのも見どころです。
その他、この映画は東日本大震災時のことだけではなく、熊本地震、西日本豪雨、新型コロナウイルスといった窮地に立たされている人々の心の模様も撮りおさめています。
聴覚障害者の言語である手話を禁止された時代もあったということですが、こういった災害時や何かを正確に伝えなければならない場で、やはり手話は有効な手段です。
この映画の伝えたいメッセージ「手話の通じる環境をもっと増やしたい」そして、多くの自治体でもその手話をより推進してもらいたいという思いが強く感じ取れる作品です。
<映画情報>
- 上映スケジュール:2020年2月27日(土)より
- 場所:新宿K’s Cinemaほか全国順次公開 全国一斉インターネット配信
- 上映時間:116分
ノーマライゼーションの社会を目指して
東日本大震災以降、聴覚障害者の方々に対するサポートは良い方向に変化しています。災害時のニュースや政府情報に関して、以前よりも手話サポートがついています。
それは聴覚障害者の方々が自らの生活を守り、一人一人が「何をすべきなのか?」を考え行動し、努力した結果です。
けれど、そのサポートはまだごく一部で十分とは言えません。私たちが本当の意味でノーマライゼーション(年齢や心身状態に関係なく生活できる社会を作ろうという考え方)の社会を作っていくには、一人一人の心の壁を取り除き、助け合う関係性を作る必要があります。
また障害を持っているから自分とは違うのではなく、お互いの違いを認め合う「共生」の時代を目指して努力しなければなりません。
今後も、「みんなが安心して暮らせるその日まで」マイノリティの立場である障害を持った方々の暮らしやすい社会を心掛けてサポートしていくことが大切です。