【泥から蓮の花が生まれるように
幸福は苦しみから生まれる
苦しみ方さえわかっているなら
苦しみはあって良い】

私はこんなシーンに遭遇すると
どうしても嫌悪感を示してしまいました。

『自分のいい加減は許せるけど
人のいい加減は許せない人』

例えば相手の遅刻には怒るけど
自分の遅刻は許してみたいなね笑

あとは、

『相手のことを知ろうともせずに
相手の行動を非難する人』とかね

例えばその人の私生活を見てないのに、
その人のことを知りもせずに
その人の行動を表向きで非難するとか、

その人の書いた本を読んだこと無いのに
非難だけしてるとか

英語しゃべれないのに
英語しゃべれるのは今の時代当たり前だから
とか言う人とか

いるとなんか嫌悪感を感じました。

でですね。
こんな風に考えてみると
わかりやすいです。

人に怒りや嫌悪感を感じたり、
傷つけられたと感じたときそこには

二つの考え方が存在します。

『一つは怒りをかき立て、
相手を非難したり、突き放したり、
やり返したくなるような考え方です。』

『もう一つは己に何故そこに反応するか?
その原因を探し、己を静め、
慈悲と理解の種に触れて、
己に変化を与え
平和に満ちた心を自分に与える考え方です。』

で私は何故そこに反応していたか?
自分にフォーカスを当てて
考えて見ると

そういえば

私は勉強がそんなにできなかったと自負している笑
母親に「勉強してないから成績落ちたのよ」と
言われたときに怒りの感情を
たくさん持ったことを記憶しています。

あとは中学生の頃とかに全く悪気はなく、
発言をしたら
先生にボコボコに殴られたことがあったんですが、
先生が私を殴った理由は全く私が考えていないような
理由で殴ったんです。

先生は勘違いしていたわけですね。

先生は私が下ネタを言ったと
勘違いしたのですが、

私は全く下ネタを
言いたかったわけではなかったのです。

殴られて私は
「下ネタを言ってたんだ。。。」
なんてこった??
と振り返ったわけです笑

その時私は確かに
クラスの大爆笑をとりましたが、
裏でボコボコに殴られながら

「私は何故いま殴られてるんでしょうか?」
と聞いたら
先生は殴るのをやめました笑泣

この部分に関しては
大した傷ではありませんが
自分を掘ると色々出てくるのは
間違いないわけで、

反応しているのは自分自身

そこで相手のせいにするか
自分にフォーカスを当てるかは

私次第

自分の中を探して見ると
そこに何故反応したかの答えが
あったりするんです。

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